大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和45年(ワ)11210号 判決

原告(反訴被告) 飯島鐵男

被告(反訴原告) 亡高橋一郎訴訟承継人 高橋愛子

〈ほか六名〉

右被告七名訴訟代理人弁護士 高橋一郎

同 井元義久

主文

原告(反訴被告)の被告(反訴原告)らに対する請求を棄却する。

原告(反訴被告)は被告(反訴原告)高橋愛子に対し金二〇万円、その余の被告(反訴原告)らに対し各金六万六、六六六円を支払え。

被告(反訴原告)らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用は本訴、反訴を通じてこれを五分し、その一を被告(反訴原告)らの負担とし、その余を原告(反訴被告)の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(本訴)

一  請求の趣旨

1 原告に対し、被告高橋愛子は金二一九万二、〇〇〇円、その余の被告らは各金七三万六六六円及びこれらに対する昭和四一年一〇月一八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告らの負担とする。

3 仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(反訴)

一  請求の趣旨

1 原告(反訴被告)は、被告(反訴原告)高橋愛子に対し金三〇万円、その余の被告(反訴原告)らに対し各金一〇万円を支払え。

2 反訴についての訴訟費用は原告(反訴被告)の負担とする。

3 仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 被告(反訴原告)らの請求を棄却する。

2 反訴についての訴訟費用は被告(反訴原告)らの負担とする。

第二当事者の主張

(本訴)

一  請求の原因

1 訴外安井九一は、訴外有田勝平と共同して別紙物件目録記載の土地(畑、以下本件土地という)につき、その所有者である訴外葛籠貫武雄との間で、昭和三七年三月三日、神奈川県知事の許可を条件として売買契約を締結して代金を完済し、安井及び有田は、横浜地方法務局神奈川出張所同日受付第一〇、三八一号をもって同日の売買予約を原因として、それぞれ持分二分の一の所有権移転請求権保全の仮登記を経由した。その後昭和三九年九月三〇日、安井は有田から同人の右二分の一の持分権を譲受け、同出張所同年一〇月六日受付第四一、四八〇号をもって、有田の本件土地の二分の一の持分に対する所有権移転請求権保全の仮登記の移転の付記登記を経由した。

2 しかるに訴外亡高橋一郎(以下高橋という。)は、何らの権限なくして安井の右仮登記にかかる権利を訴外苅部佐市に対して代金六五七万六、〇〇〇円で売渡し、安井の委任状等を偽造して前記出張所昭和四一年一〇月一八日受付第四九、〇三九号もって同月一〇日の解除を原因として、安井の本件土地に対する所有権移転請求権保全の仮登記の抹消登記手続をなし、昭和四二年三月一六日、同出張所同日受付第一二、四二七号をもって、同月一四日の売買を原因として、葛籠貫から苅部に対する所有権移転登記手続をなしてしまった。その結果、安井は農地法三条による県知事の許可があれば本件土地の所有権を取得することができるという期待権を喪失した。右期待権喪失による損害額は、本件土地の時価相当額とみるべきであるから、高橋が苅部に対し、安井の本件土地についての仮登記にかかる権利を売却した代金六五七万六、〇〇〇円をもって、右安井が被った損害であるというべきである。

3 原告は昭和四四年四月二〇日、安井との間で、原告所有の横浜市緑区石川町字平原五三七八番地所在の農地二筆(以下原告所有の土地という)を農地法五条による県知事の許可を条件として売買契約を締結し、その代金七七四万円のうち、原告は安井から手付金として金一〇万円を受領し、残代金七六四万円の支払に代えて、同年六月一〇日、安井から同人が高橋に対して有する前記不法行為による金六五七万六、〇〇〇円の損害賠償請求権及びこれに対する不法行為の日である昭和四一年一〇月一八日以降同日までに既に生じていた年五分の割合による金八三万七、四五五円の遅延損害金請求権(以下本件損害賠償債権等という)を譲り受け、安井は同月一三日付の内容証明郵便をもって高橋に対して右債権譲渡の通知をなし、右内容証明郵便は翌一四日、高橋に到達した。

4 高橋は昭和四七年八月一五日に死亡し、その権利義務を被告高橋愛子は三分の一、その余の被告らはいずれも各九分の一の割合にてそれぞれ相続した。

5 よって原告は被告高橋愛子に対し金二一九万二、〇〇〇円、その余の被告に対し各金七三万六六六円及びこれに対する不法行為の日である昭和四一年一〇月一八日から完済に至るまで、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1のうち、安井及び有田が葛籠貫に対して売買代金を完済したとの点は不知、その余は認める。

2 請求原因2のうち、安井の所有権移転請求権保全の仮登記の抹消登記がなされていること、葛籠貫から苅部に対する所有権移転登記がなされていることは認めるが、その余の事実は否認する。

高橋及び訴外鈴木貞蔵の両名は、昭和四一年三月四日、安井の代理人である訴外吉原定竹から、安井が本件土地について有する前記仮登記にかかる権利を代金五七〇万円で買受け、同日その内金四七〇万円を、同月一二日残代金一〇〇万円をそれぞれ吉原に支払った。そして高橋、鈴木の両名は、同年一〇月一七日、右仮登記にかかる権利を苅部に対して代金六五七万六、〇〇〇円で売渡したが、その際登記簿上は安井が仮登記権利者のままになっていたので、苅部の疑惑を解消するため、安井の同意を得て、同人から同人の印鑑を借り受け、右仮登記にかかる権利を安井が直接苅部に売渡した形式をとって、その旨の売買契約書を作成し、安井から印鑑証明書及び委任状の交付を受けて、安井の同意を得て同人の所有権移転請求権保全の仮登記の抹消登記手続をなし、所有権者であった葛籠貫と苅部が昭和四一年一二月二六日、神奈川県知事に対して農地法三条の許可申請をし、翌四二年二月二〇日、右許可がおりたので、苅部は原告主張の所有権移転登記を経由したものである。

3 請求原因3のうち、高橋が原告主張の内容証明郵便による債権譲渡の通知を受けたことは認めるが、原告と安井間の原告所有の土地の売買の事実、安井が本件損害賠償債権等を原告に譲渡した事実は不知。右債権譲渡の通知を安井がなしたこと(これは原告がなしたものである)は否認する。

4 請求原因4は認める。

5 請求原因5は争う。

三  抗弁

1 仮に安井が本件損害賠償債権等を原告に譲渡したとしても、これは安井が原告に訴訟行為をなさしめることを主たる目的としてなした信託行為であるから、信託法一一条に違反し無効である。

2 仮に安井が高橋に対して本件損害賠償債権等を取得したとしても、安井はその所有権移転請求権保全の仮登記の抹消登記手続がなされた昭和四一年一〇月一八日頃、損害及び加害者を知ったものであるから、この時から三年を経過した昭和四四年一〇月一八日頃、本件損害賠償債権等の消滅時効が完成したので、高橋は、昭和四六年五月一〇日の本件第四回準備手続期日において右時効を援用した。

四  抗弁に対する認否

1 抗弁1は否認する。

2 抗弁2のうち、安井が昭和四一年一〇月一八日頃、損害及び加害者を知ったことは否認する。安井がこれを知ったのは、昭和四四年四月二一日頃であり、従って昭和四五年一一月一三日、原告が本訴を提起したことにより右消滅時効は中断した。

(反訴)

一  請求原因

1 本訴において主張したとおり、本件損害賠償債権等は存在しないことが明白であり、原告は高橋から強いて金銭を取得しようとして、安井から本件損害賠償債権等を譲り受けたと称して(なお、真実譲渡がなされたとしても、後述のとおりこれは安井が原告に対して訴訟行為をなさしめることを主たる目的としてなされたものであるから、信託法一一条に違反し無効である)、高橋に対し、昭和四四年六月一三日付内容証明郵便をもって安井名儀で債権譲渡の通知をなし、同年六月二四日付書留郵便をもって、高橋に対し、本件土地代金支払方法等についての回答を要求し、高橋がこれを放置していたところ、同年七月一二日、同年八月二二日にいずれも「催告状」と題する書留郵便を高橋につきつけて、回答の義務なき本件土地代金支払方法等の回答を迫り、さらに同年九月一五日、「催告状(最終回)」と題する書留郵便をもって、右事実等について回答を迫るとともに、その回答がない場合には刑事、民事の手続をとると通告し、高橋に対して不法に精神的圧迫を加えた。

2 そして高橋がこれに応じないとみるや、原告は犯罪事実の存在しないことが明らかであるにもかゝわらず、無謀にも高橋に対して心理的圧迫を加えて金銭を取得しようとして、敢て、昭和四五年四月一〇日頃、高橋を私文書偽造、同行使、公正証書原本不実記載、同行使の罪名で東京地方検察庁に告訴した(後に告訴人名儀を安井九一に変更した)。このため高橋は同月一四日及び同年五月四日の二回に亘り、同検察庁において検察官の取調を受けることを余儀なくされたが、結局同月七日右被疑事件は嫌疑不十分として不起訴処分に付された。

3 そして原告は、安井が高橋に対して本件損害賠償債権等を有するものでないことを知りながら、そして安井から本件損害賠償債権等を譲り受けた事実もないにも拘らず、これを譲り受けたと主張して、昭和四五年一一月一三日、高橋に対して本件損害賠償債権等の支払を求めて本訴を提起した。なお仮に右譲渡がなされたとしても、前述のとおり信託法一一条により右譲渡は無効であり、いずれにしても、原告の高橋に対する本訴の提起は不当訴訟として不法行為を構成する。

4 さらに本訴提起後、原告は昭和四六年一月二八日付の「預金通帳写又は預金台帳写送付依頼書」と題する内容証明郵便を高橋に送付して義務なきことを強要し、また同年四月二二日付の「代金支払先その他回答依頼書」と題する内容証明郵便を高橋に送付して、回答の義務なき事実の回答を強要した。そして高橋がこれに応じなかったところ、本件土地売買の問題について何らの関係もない高橋の妻子である被告高橋愛子、同高橋秀和、同高橋常子、同高橋章介に対し、それぞれ「連帯保証追認請求書」と題する昭和四六年五月六日付の内容証明郵便をつきつけ、その書面中に「法律も親族間の扶け合い義務を定めている」などと、右被告らが原告の主張する本件損害賠償債務について連帯保証をすべき法的義務があるかの如く述べて、右被告らをしてその旨誤信させて本件損害賠償債務について連帯保証をさせようと企てたばかりか「一〇日以内に異議を申出ない場合には連帯保証を承認したものとみなす」と通告して、右被告らに対し、連帯保証をなすことを強要した。

5 以上のとおり、高橋は原告からの回答義務なき事項についての回答強要、不法な告訴による取調、違法な本訴提起さらには事件に関係のない高橋の妻子に対する連帯保証の強要による家庭の平穏の侵害等の不法行為により多大な精神的苦痛を被ったものであり、これを慰藉するためには少なくとも金三〇万円の慰藉料が必要である。

6 また高橋は、原告の違法な本訴に応訴するため、弁護士高橋一郎に訴訟委任をなして着手金として金三〇万円を支払い、成功報酬として金六〇万円を支払う旨約した。また、高橋は前記慰藉料及び弁護士費用の支払を求める反訴の提起を余儀なくされ、その訴訟追行を同弁護士に委任し、着手金として金一〇万円を支払い、成功報酬として金一〇万円を支払う旨約した。

7 高橋は昭和四七年八月一五日に死亡し、その権利義務を、被告高橋愛子は三分の一、その余の被告らはいずれも九分の一の割合でそれぞれ相続した。

8 よって原告に対し被告らは、高橋から相続した前記金三〇万円の慰藉料請求権及び金一一〇万円の弁護士費用相当の損害賠償請求権のうち、慰藉料金三〇万円全額と、右弁護士費用相当の損害金の内金六〇万円の支払を求めることとし、右相続割合に基づき被告高橋愛子は金三〇万円、その余の被告らは各金一〇万円の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1のうち、原告が被告ら主張の書留郵便を送付したことは認めるが、その余は否認する。

2 請求原因2のうち原告が被告ら主張の如く告訴したことは認めるが、その余は否認する、原告の告訴は法律により認められた正当な権利行使である。

3 請求原因3のうち、原告が高橋に対して被告ら主張の日時に本訴を提起したことは認め、その余は否認する。

4 請求原因4のうち、原告が被告ら主張の内容証明郵便を送付したことを認め、その余は否認する。

5 請求原因5は否認する。

6 請求原因6のうち、反訴提起を余儀なくされたことは否認し、その余は不知。高橋の応訴および反訴の提起こそ理由がないものであり、違法行為を継続するものに外ならないから、その主張する弁護士費用は原告の本訴提起によって生じた損害とは云えない。

7 請求原因7は認める。

8 請求原因8は争う。

第三証拠≪省略≫

理由

一  まず本訴請求について判断する。

本訴請求原因1は、安井及び有田が葛籠貫に対して代金を完済したとの点を除き当事者間に争いがなく、本訴請求原因2のうち、本件土地につき、横浜地方法務局神奈川出張所昭和四一年一〇月一八日受付第四九、〇三九号をもって、同月一〇日の解除を原因として、安井の所有権移転請求権保全の仮登記の抹消登記がなされ、また右土地につき同出張所昭和四二年七月一六日受付第一二、四二七号をもって同年三月一四日の売買を原因として、葛籠貫から苅部に対して所有権移転登記がなされていること、及び本訴請求原因4は当事者間に争いがない。

二  そこで本訴請求原因2について判断する。

≪証拠省略≫によれば以下の事実を認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫

1  安井は昭和四一年当時吉原に約二〇〇万円の借金があり、吉原からその返済を迫られたため、安井が本件土地について有していた前記仮登記にかかる権利を売却することにし、同年二月頃、安井、吉原の知り合いである高橋のところへ右売買の交渉に行った。

2  当時、高橋は、転売利益を目的として訴外鈴木貞蔵と共同して土地売買を行っていたが、本件土地が農地であることからいったんは買受けを断わった。しかし高橋は結局、鈴木と共同して、買受け後直ちに転売する目的で、安井の前記仮登記にかかる権利を買受けることにし、昭和四一年三月四日、東調布信用金庫碑文谷支店において、高橋、鈴木両名と吉原との間で、安井の仮登記にかかる権利を代金五七〇万円で買受ける契約を締結し、吉原は、安井名義をもって高橋宛の売渡書を作成し、自らも保証人として右売渡書に署名押印して、これを高橋に交付した、高橋は右支店の自己の通知預金口座から金五〇〇万円の払戻しを受けるとともに、これに自己の手持現金七〇万円を足して、同日代金を完済する予定であったが、吉原が安井の登記済権利証を持参していなかったので、同日は吉原に対し、代金の内金四七〇万円のみを支払い、残代金一〇〇万円は後日権利証と引換に支払うことにして、これを同支店の高橋の通知預金口座に預入れた。吉原は右代金四七〇万円を受取ると、直ちに同支店に安井名義の普通預金口座を開き(但し、印鑑は吉原のものである)、右代金の内金七〇万円を右口座に預入れた。

3  同月一二日、高橋、吉原及び安井は東調布信用金庫碑文谷支店に会し、高橋は、安井から同人が持参してきた権利証を受取り、同月四日に預入れた通知預金一〇〇万円の払戻を受けて、これを残代金として吉原に対して支払った。これに対し吉原は、安井の立会いのもとに、安井名義をもって高橋宛金一〇〇万円の領収書を作成し、安井から同人の実印を借受けて、これを安井名下に押捺してこれを高橋に交付した。そして吉原は、同月四日に同人が安井名義をもって開いた普通預金口座から金六五万円の払戻を受けてこれを安井に渡した。(なお右口座の残高金五万円も後に払戻されて安井に交付されている)

4  高橋、鈴木両名は、吉原から買受けた本件土地についての仮登記にかかる権利を所期の目的どおり売却することにし、不動産仲介業者である山三商事を通じて買主を探した結果、同じく不動産仲介業者である小机不動産が仲介する苅部佐市がこれを買受けることになった。高橋、鈴木両名はいまだ安井の所有権移転請求権保全の仮登記の移転の付記登記をなしておらず、登記簿上は、安井が仮登記権利者と表示されたままになっていたところから、苅部の要求により、安井を形式上売主にして売買契約を締結することにした。そして契約の当日である昭和四一年一〇月一七日、山三商事の代表取締役臼井三敏、同従業員清水勲及び高橋の三名は吉原宅を訪れ、清水は吉原を通じての高橋の要求により印鑑証明書を持参してきていた安井から、右印鑑証明書を受取り、さらに安井の了解を得て同人の実印を借受け、安井の所有権移転請求権保全の仮登記の抹消登記手続を鈴木久吉に委任する旨の委任状の安井名下に押捺した。そして清水らは、安井から形式上同人を売主として苅部との間で売買契約を締結することの同意を得、安井に対して小机不動産まで同行して右売買契約に立会うことを依頼したところ、同人は、「既に売ってしまったものだからあなた達に任せる。」と言って立会に応じなかったので、清水は、安井が同行しないのでは同人の実印を借受けて行くわけにもいかないとして、同人の三文判を借受けて小机不動産に行った。

5  小机不動産において、売主側として高橋、臼井及び清水が、買主側として苅部佐市の息子の苅部勉及び小机不動産代表取締役高部栄次が出席して、売主を安井、買主を苅部、代金を金六五七万六、〇〇〇円とする本件土地についての仮登記にかかる権利の売買契約を締結してその旨の売買契約書を作成し、売主安井名下には、清水が安井から借受けた三文判を押捺した。そして高橋が苅部勉から代金の内金五二六万八〇〇円を受領したので、清水は、安井名義をもって苅部佐市宛金五二六万八〇〇円の領収書を作成し、安井名下に右三文判を押捺してこれを苅部に交付した。

6  清水は、右売買契約締結後直ちに司法書士鈴木久吉に対して前記安井の印鑑証明書、委任状等を交付して、安井の所有権移転請求権保全の仮登記の抹消登記手続を依頼し、鈴木は翌一八日、横浜地方法務局神奈川出張所同日受付第四九、〇三九号をもって同月一〇日の解除を原因として右抹消登記手続をなした。

7  昭和四二年三月四日、小机不動産において、高橋は苅部勉から残代金一三一万五、二〇〇円を受領したが、清水がさきに安井から借受けていた前記三文判は既に同人に返還していたので、高橋は作成名義人を「安井九一代理人高橋一郎」とし、右高橋名下に同人の印鑑を押捺して、苅部佐市宛金一三一万五、二〇〇円の領収書を作成してこれを苅部勉に交付した。

そして、以上認定した事実からして、安井は吉原に対して、安井の本件土地についての仮登記にかかる権利を高橋、鈴木両名に対して売渡す代理権を授与したことは明らかであると云わざるを得ない。又安井の所有権移転請求権保全の仮登記の抹消登記が安井の意思に基づくものであることは前認定の事実から明らかであるから、右抹消登記を無効のものと云うことはできない。

三  以上のとおり、安井の所有権移転請求権保全の仮登記は安井の意思に基づき適法に抹消されたものであるから、その余の事実について判断するまでもなく、安井の右仮登記が安井の意思に基づくことなく、不法に抹消されたことを前提とする原告の本訴請求は、失当として棄却を免れない。

四  以下反訴請求について判断する。

まず、本件損害賠償債権等が存在しないことは前認定のとおりであるが、原告が本件損害賠償債権等の存在しないことを知っていたことは、これを認めるに足りる証拠はない。

次に、本件損害賠償債権等の譲渡の有無、及びこれが安井が原告に対して訴訟行為をなさしめることを主たる目的とするものであるか否かについて考察する。≪証拠省略≫によれば、安井は吉原を代理人として、本件土地についての仮登記にかかる権利を高橋、鈴木両名に対し、代金五七〇万円で売渡したにも拘らず、吉原から右代金の内金七〇万円しか受取らなかったことから、右売買に対して不満を持ち、昭和四四年一月頃、昵懇の間柄である原告に対し、安井の所有権移転請求権保全の仮登記が同人不知の間に不法に抹消され、本件土地が他の者に売却されてしまったと称して、土地返還ないしは右売買代金取戻の相談をもちかけ、原告はこれを引受けた。その後、同年六月一〇日、原告は安井の了解のもとに同人の印鑑を借受け、同月一三日付の内容証明郵便をもって、安井名義で本件損害賠償債権等の譲渡通知をなした。そして昭和四五年一一月一三日、原告は高橋に対して本件損害賠償債務の支払を求めて本訴を提起したが、それ以前原告は高橋に対し、一度たりとも本件損害賠償債務の支払を請求したことのないことを認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫なお原告は、昭和四四年四月二〇日、原告と安井との間において、原告所有の土地を農地法第五条による県知事の許可を条件として代金七七四万円で売渡す旨の売買契約を締結し、手附金一〇万円を除く残代金七六四万円の支払に代えて、金六五七万六、〇〇〇円の本件損害賠償債権及びこれに対して既に発生していた金八三万七、四五五円の遅延損害金請求権を譲り受けたものであると主張するのであるが、右主張自体、残代金と本件損害賠償債権及び遅延損害金請求権の額との均衡を失しており、不合理であり、また証人安井九一の証言(第一回)には原告の右主張に沿うかの如き部分があるが、同証人は、真に原告所有の土地を買受けたのなら当然知るべき、原告所有の土地の筆数、場所、地番、売買代金総額、手付金支払時期、さらには原告所有の土地に対し所有権移転請求権保全の仮登記を経由したか否か等について何ら明確な証言をなすことができず、ただ原告の右の点についての誘導的尋問に対してただ迎合するのみであり、右証言は到底措信することはできず、その他に原告主張の右売買契約の存在を認めるに足る証拠はない。かえって、この点に関する原告の主張の予盾、証人安井九一の証言の矛盾等の弁論の全趣旨に徴すれば、原告主張の売買契約、その他本件損害賠償債権等譲渡の対価たるべきものは何も存在しないことを認めることができる。そして以上認定した事実に、原告の主張する本件損害賠償債権なるものは、その性質上、債務者から任意の弁済を受けられる可能性のないことを考えあわせ、さらには、証人安井九一の「土地か金を戻してもらうために原告に頼んだ、徐々に訴訟をしてもらって、あとでお金をもらえばよいと思った」との証言(第一回)に徴すれば、原告は、安井からの依頼により、自ら訴訟を提起してその取立をなすことのみを目的として、本件損害賠償請求権等を譲り受けたものと認定せざるを得ず、従って右債権譲渡は信託法第一一条に違反する無効のものと云うべきである。

五  次に被告らの主張する原告の各不法行為について判断する。

原告が信託法第一一条に違反して本件損害賠償債権等を譲り受け、その支払を求めて高橋に対し本訴を提起したことは前認定のとおりであるが、信託法第一一条は、濫訴及び弁護士代理の原則の潜脱の防止を目的とするのみならず、裁判という公の場において、信託の形式を利用して他人間の紛争に介入すること自体を違法として、これを禁止するものであるから、原告の右債権譲受行為は強行法規違反として無効であるのみならず、原告の本訴提起は、高橋に対する不法行為を構成するものと解するのが相当である。

次に、反訴請求原因1のうち、原告が高橋に対し、昭和四四年六月二四日付書留郵便をもって、本件土地代金支払方法等の事項について回答を要求したこと、同年七月一二日、同年八月二二日各到達のいずれも「催告状」と題する書留郵便をもって右同様の回答を要求したこと、さらに同年九月一五日到達の「催告状(最終回)」と題する書留郵便をもって右同様の回答を要求し、回答がない場合には、刑事、民事の手続をとる旨通告したことは当事者間に争いがない。被告らは、これをもって原告が高橋に対し、回答義務なき事実の回答を強要して精神的圧迫を加えたものであると主張する。しかし、高橋に、本件土地代金支払方法等の事実を原告に回答する法的義務のないことはもちろんであるが、右「催告状(最終回)」と題する書留郵便以外は、単に土地代金支払法等の事実についての問合わせにすぎず、威迫的な文言を含むものでもなく、これをもって高橋に対して回答義務なき事実の回答を強要して不法に精神的圧迫を加えたものと解することはできない。そして右「催告状(最終回)」と題する書留郵便は、本件土地代金支払方法等の回答を要求するとともに、右回答なき場合は刑事、民事の手続をとる旨通告するもので、高橋をして多少とも困惑させるものではあるが、これをもって未だ不法行為を構成する程の違法性を帯びるものとは解せられない。

次に、≪証拠省略≫によれば、原告は昭和四五年四月一〇日頃、高橋を私文書偽造、同行使、公正証書原本不実記載、同行使の罪名により東京地方検察庁に告発したこと、その際係官から、告発状に被害者として記載された安井において高橋を告訴した方がよいとの指適を受けたので、原告は安井と相談して安井において告訴することにし、その頃、原告は安井の代理人として右検察庁に赴き、安井名儀をもって右罪名により高橋を告訴したこと、その結果、高橋は同月一四日及び同年五月四日の二回に亘り同検察庁に出頭を求められ、村田恒検事の取調を受け、同月七日、右告訴にかかる被疑事件は嫌疑不十分として不起訴処分に付されたことを認めることができ、この認定に反する証拠はない。これについて被告らは、原告は高橋に犯罪の嫌疑のないことを知っていたと主張するのであるが、これを認めるに足る証拠はなく、被告らのこの不法行為の主張は理由がない。

次に≪証拠省略≫によれば、原告は、本訴提起後、昭和四六年一月二八日付の「預金通帳写又は預金台帳写送付依頼書」と題する内容証明郵便を高橋に送付し、高橋が苅部から受領した土地代金の内金五二〇万八〇〇円を高橋淳子名儀で預金した通帳の写ないしは右預金台帳の写を原告に送付することを要求したこと、また同年四月二二日付の「代金支払先その他回答依頼書」と題する内容証明郵便を高橋に送付し、高橋が本訴において主張する土地代金五七〇万円の支払先、領収書作成の有無、右代金について高橋及び鈴木の分担割合及びその捻出方法についての回答を要求したことを認めることができ、この認定に反する証拠はない。被告らは、これをもって義務なきことを強要する不法行為であると主張するのであるが、右は訴訟の相手方に対する釈明要求及び文書送付の要求であるから、裁判所を通じて、高橋またはその訴訟代理人に対してこれをなすことが相当であることはいうまでもないが、これを訴訟外において直接相手方当事者たる高橋に対してなしたからといって、これが直ちに義務なきことの強要になるとの被告らの主張は到底肯認することはできない。

次に、原告が高橋の妻子である被告高橋愛子、同高橋秀和、同高橋章介、同高橋常子に対して、それぞれ昭和四六年五月六日付の「連帯保証追認要求書」と題する内容証明郵便を送付したことは当事者間に争いがなく、右郵便には、「高橋が安井の知らない間に本件土地を無断で売渡したのでこれにより高橋は金六五七万六、〇〇〇円の損害賠償債務を負っているので、高橋の右債務及びこれに付随する債務について連帯保証債務を負担して欲しい。法律も親族間の扶け合い義務を定めている。」旨、また「これについて異議ある場合には理由明記の上、右内容証明郵便到達の日から一〇日以内に申出られたく、右申出のない場合には連帯保証を追認したものとみなす」旨記載されている。被告らは、原告が右内容証明郵便を送付したことをもって、高橋の妻子である右被告らをして、高橋の本件損害賠償債務について連帯保証をする法的義務があるとの錯誤に陥らせて右連帯保証をさせようとし、また一〇日以内に異議を申出ないときは連帯保証を承諾したものとみなすとして右被告らに対して右連帯保証をなすことを強要したと主張するのであるが、原告が本件土地売買に関する紛争に何ら関係のない右被告らに対し、右内容証明郵便を出すことの道義上の問題はさておき、右内容証明郵便は、ただ親族間における民法上の一般的な相互扶助義務を説いて、右被告らに対し、高橋の本件損害賠償債務について連帯保証をなすことを依頼しているにすぎず、高橋の債務はその妻子が当然連帯保証をなすべき法的義務があると主張しているものでないことは、その文言上明らかであるから、これが右被告らをして錯誤に陥らせるものとは解し難く、また一〇日以内に異議の申出がない場合には連帯保証をなすことを承諾したものとみなすとの通告が、右被告らに対して、連帯保証をなすことを強要するものであるとも解し難い。

以上のとおり、被告らの各不法行為の主張は、違法な本訴提起の点を除いて理由がない。

六  そこで、原告の違法な本訴提起により高橋の被った損害について判断する。

まず、被告らは原告の違法な本訴提起により高橋が精神的苦痛を被ったとして、その慰藉料請求権を主張しているのであるが、これと、被告らが反訴において主張する他の各不法行為による慰藉料請求権とは別個の訴訟物であるから、右各慰藉料請求権について、それぞれその額を特定して主張する必要があると解すべきところ、被告らは、各慰藉料請求権の総額が金三〇万円であると主張するのみであり、原告の違法な本訴提起による慰藉料請求権の額を特定して主張しないのであるから、これを認容するに由ない。

次に本訴に応訴するため、又反訴を提起するため高橋が支払い、また支払うべき弁護士費用について判断する。≪証拠省略≫によれば、高橋は本訴に応訴するため、訴訟追行を弁護士高橋一郎に委任し、昭和四五年一一月二八日、着手金三〇万円を支払い、成功報酬として高橋の得る利益の一割五分の金員を支払う旨約したこと、また反訴の提起についても同弁護士に委任し、昭和四七年四月一四日、着手金一〇万円を支払い、成功報酬として、反訴請求についての認容額の一割五分に相当する金員を支払う旨約したことが認められ、この認定に反する証拠はない。本訴については、主文のとおり原告の請求を全て棄却するのであるから、原告の請求する金六五七万六、〇〇〇円が高橋の受くべき利益であり、この一割五分である金九八万六、四〇〇がこの成功報酬となり、既に支払った着手金三〇万円を加えた金一二八万六、四〇〇円が原告の提起した違法な本訴に応訴するについて生じた弁護士費用となる。そしてこれは、本訴の事案及びこれに応訴するについての難易、その他諸般の事情に照らすと、原告の違法な本訴提起と相当因果関係があるものと認められる。そして高橋は、原告の各不法行為による慰藉料金三〇万円及び右弁護士費用相当の損害の内金の支払を求めて反訴を提起したのであるが、以上認定した事実からして、これは自己の権利擁護のために相当な措置であると認められる。反訴については、請求額のうち本訴に応訴するに要した弁護士費用相当の損害金六〇万円の支払を求める部分に限り認容するのであるから、この一割五分である金九万円が高橋が支払うべき成功報酬となり、これに既に支払った着手金一〇万円を加えた金一九万円が、反訴について高橋に生じた弁護士費用となる。そして、反訴事中の難易、請求額、認容額、その他諸般の事情を斟酌すると、これは原告の違法な本訴提起と相当因果関係のある損害と認められる。

七  高橋が昭和四七年八月一五日死亡し、同人の権利義務を、被告高橋愛子が三分の一、その余の被告において各九分の一宛相続したことは当事者間に争いがない。被告らは原告に対し、原告の違法な本訴提起により高橋に生じた弁護士費用相当の損害の内金六〇万円の支払を求めるものであるから、結局、原告は、被告高橋愛子に対し金二〇万円、その余の被告に対し各金六万六、六六六円(円末満切捨)を支払う義務がある。

八  以上のとおり、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、反訴請求については、被告らが原告に対し、前記弁護士費用金六〇万円の支払いを求める限度で認容することとし結局被告高橋愛子が金二〇万円、その余の被告が金六万六、六六六円の各支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、仮執行宣言については不相当と認めてこれを付さないことにし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中島恒 裁判官 寺西賢二 佐藤修市)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例